三条の見事な桜
厳しい冬も去って、駆け足で春はやって来ます。
雪融けの所々にフキノトウやツクシが小さな頭を覗かせ、春ですよ、おはよう、おはよう、と元気な声をかけてまえります。川の水も温み、岸辺のネコヤナギの芽も膨らみ、一斉に春を合唱するんです。
桜が咲いて、桃の花が咲く頃はもう春真っ盛り。何もかも明るく、希望に満ちた雪国ならではの風景です。
五月には遅咲きの八重桜も咲き一大イベントの三条八幡宮春の大祭がやって来ます。




 
大名行列先導の天狗様
三条の鎮守八幡宮は今から千百年余り前の仁和元年(885)、京都石清水八幡宮より分霊を戴き創建されました。(八幡宮社記より)御神幸祭(三条指定文化財)に由れば、大祭は三条の表通りの家々、商店はすべて仕事を休んで、通りに面する部屋に家宝の屏風を立て緋の毛氈を敷き、家族がそこに座って御神幸の行列を拝観したものでした。近隣の町村からの参拝客は、一軒一軒この屏風を見物して歩いたことから、「屏風祭り」とも言われました。
魚屋は十四日の宵宮には、ご馳走に鯛を各家に売りにいきました。
このことから「鯛祭り」とも言われます。食膳には鯛の焼物、鯛の吸物、わらび、ふき、筍などの煮付けがのぼり、赤飯が炊かれました。この赤飯は「ダンゴ赤飯」といって、赤飯の中に鶏卵ほどの大きさのアンの入ったダンゴが一緒に炊きこんであるもので、お祭りの時だけの特色あるダンゴ赤飯でしたが、今では作る家もなくなりました。

祭りのメインイベントは神輿渡御と大名行列です。神輿渡御は南北朝時代延文二年(1357)に始められたと伝えられますが、今のような形の大名行列は文政五年(1822)に三条の領主、村上藩主内藤信敦が京都所司代に就任したのを祝って始められたものと言われています。
先導は道祖神で一般に天狗様と言われています。三条祭りの天狗様をつとめる人は、五月一日から二週間の精進潔斎に入ります。身を清め、食事もすべて自分で煮炊きする生活です。
天狗様は一人ではありません。途中でときどき交替します。神社を出るときは二本歯の高足駄をはいていますが、次の交替から一本歯の高足駄になります。途中で倒れたりすると、そこから火災が起きるといわれ、天狗様を支える二人の徒士の責任は重大です。


舞い込みの様子

大祭の最後は「舞込み」むかしは「回り込み」と云っていました。舞込みは大名行列が帰って八幡宮社殿の周囲を、道祖神、御神輿、太鼓がそれぞれ三周して拝殿に納まる行事です。
走って回る勇壮なもので、親が幼いわが子を肩車して、足袋はだしで後を追います。
こうして舞込みに参加した子供は無病息災に育つといわれます。この祭りが終わると春も終盤となります。